植村正久の日本論(2)
─日本的伝統とキリスト教─


<目次>
1 問題
2 近代日本とキリスト教   (前号掲載↑)
3 日本的伝統とキリスト教 (本号掲載↓)
4 展望


3 日本的伝統とキリスト教
 植村正久が、近代日本とキリスト教との関係をどのように論じているかについては、これまでの考察によって、かなり明らかにできたと思われる。しかし、植村正久の日本論を明らかにするには、植村が、日本的伝統についてどのように考えていたかについて論じる必要がある。本章では、伝統宗教、武士道、天皇制についての植村の議論を取り扱うことにしたい。

3−1:伝統宗教
「中心なき国民」(『日本評論』56、M26/10/14)
「教育ということはただ口頭の名目のみとなり果てたるは、正にこれわが国民が教育上の状態にあらずや」、「文学界」、「国民の宗教を観察せよ」、「儒教消えたるがごとく仏教もまた廃れ耶蘇教力なく、かかる一方においては天理教行われ売卜学行なわれ、無宗教に似て無宗教にあらず、宗教を有せるに似て、その実宗教を有せざるはすなわちこの国民の真状にあらずや。かくのごとき国民は決して中心ある国民にはあらざるなり」(79)

「十月三十日の勅語、倫理教育」(『日本評論』17、M23/11/8)
「皇上ことさらにこの勅語を発せられる。蓋しそのゆえなきにあらざるべし」(283-284)
「今の日本人は徳育の孤児なり。維新以来社会の変化とともに従前の徳教大いに廃れ、儒も、仏も、神道も、徳義をもって、少年子弟の心に注入するの力を失い」、「徳育の問題」

 伝統宗教の無力化、新宗教を含めて評価は低い、
 民衆レベルでの宗教的動向は十分に視野に入っていない(迷信という切り捨て方)、教養人に対する弁証というスタンスの限界、

「神道は宗教でないか」(『福音新報』1047、T10/4/21)
「これは日本のキリスト者にしばしば投げ懸けられた問である。これに関聨して種々の鋭感で危険なる題目が研究と実際の解決とを待ちつつある」(196)、「日本のキリスト者は神道および神社の問題につき、議論に事実に、戦闘力を発揮して、時代錯誤の甚だしきこれら弊事を清掃することを務めねばならぬ」(197)

3−2:武士道
「キリスト教と武士道」(『福音新報』158、M27/3/23)
「いわゆる武士の精神なる者は、すなわちチュートン人の旧精神が、キリスト教の洗礼を受けて、新面目を取りて顕われ来たりたる者に外ならずとす」(393)、「武士道は実に一種の宗教なりき、社会の生命はただこれに依りて維持せられたりき」、「社会をして武士道の昔に返らしめよ。否むしろ吾輩が欲するところの者は、洗礼を受けたる武士道なり」(395)

「何をもって武士道の粋を保存せんとするか」(『福音新報』172、M27/6/25)
「日本固有の士風は国人の誇るべきところなり」、「これ愛国の道、子孫が遠祖に対するの義なり」(396)、「武士の美粋を保つとしからざるとは、日本将来の運命に関するもの大いなり」、「士道は節義を尚ぶ。公に奉じて身を犠牲にするの言いなり」、「士道は責任、義務、忠勇、義烈の精神をもって滔々たる唯物的精神に打ち勝つことを専要とす」(397)

「キリスト教の武士道」(『福音新報』140、M31/3/4:141、M31/3/11)
「日本人は漫然大和魂などと唱えて、武士道を独り占有するものごとく誇るの癖あり。されどこれは偏頗なる思想に外ならず。武士道は必ずしもわが国の固有なりと言うべからず」、「日本においてわれらの近く記憶に印し、親しく実験せるところの武士道は、古代の武士道と必ずしも同一なりと言うべからず。時と共に変遷し、世と共に発達せるは、論を俟たずして明らかなり」(399)、「家康天下に覇たるに及んで、盛んに儒教を奨励し、その訓練を経るに随い、初めて武士ちょう理想を高尚にすることを得たり」、「ここに明治維新の世となり、かつて個々別々に養成せられたる武士道は、一天万乗の君主に忠義を尽くすに至れり。皇室は武権の跳梁に依りて、意外の美果を収め得たりと言わざるべからず。かく武士道は変遷をなし、小より大に進み、疎より密に入り、浅きより深きに達したるmのなり」(400)、「依然として昔日の風習を維持しその精神を保つこと能わず。武士道漸く萎微し振わざるに至れるはやむを得ざる勢いと言うべし。しからばいかにしてその廃れんとするを挽回するを得べきか」、「かつて日本の伝道を論じたる時、武士道とキリスト教の関係に論及し、武士道はキリスト教によりて最もよくこれを維持改良せらるべき所以を述べしことあり」、「特にコリント前書十六章十三節」「キリスト教の武士道と言うべきものあり」(401)
「唯物主義と無宗教とは天下に横行し、学校に学ぶは卒業のため、官職のため、衣食のためのみにして更にその他の目的なきがごとく、孜々として誠実に真理を探究するものほとんど稀なり。しかるにキリスト教は主義を重んじ、道に殉ずるの宗教なり」(404)

 日本的伝統のキリスト教化

「武士気質」(『福音新報』256、M33/5/23)
「慕われてしこうして次第に消耗しつつあるは、わが国の武士気質なり」、「今日の淫々たる拝金風、唯物主義」、「余輩も新渡戸稲造氏がその著書で説きしと伝えらるるごとく、武士道は神が特に日本に賜わりたる旧約なるべきを信ず」(413)、「しかれどもわが国には幸い武士気質なるものの存するあり。確かにキリスト教を待つの旧約たる資格を保てることを疑わず」(414)

 日本における「旧約」的役割を果たすものとしての武士道、ただし、近代化した武士道

「日本のキリスト教と武士」(『福音新報』359、M35/5/14)
「雑誌「武士時代」に戸川安宅氏の筆で「武士とキリスト教」と題する一文が載って居る」、「いずれも武士の子弟である」、「われらは武士道に対しては一個の異見を懐いて居るが、戸川氏がここにいうところだけは確かに事実であることを認むるに躊躇しない」、「武士の子弟のみが関したというのは随分意味があることに違いない」(415)、「日本初代の弟子にはいずれも武士の子が選ばれた」(416)

「戦勝と伝道」(『福音新報』498、M38/1/12)
「内外相応じて唯物的の火の手がよほど強くなって来た。ただ人民がこの奇跡に由って審判されたばかりでなく、弟子自身も同じことであった。これは実に日本の時事に適中すべき教訓である。満州の戦勝、旅順の陥落は実に目出度い話で、喜悦極まりない慶事である。旭日の旗も掲ぐべし。万歳の声も湧くが如くなれ、しかしながらここが大事である。日本は戦勝の結果としてその理想が高尚になるか、はた堕落して物質的の傾向ますます甚だしく、上下挙って鄙野なる傾向に駆られはしまいか」(420-421)
「弟子たちの精神的状態が危機に陥ったと同様に、かかる時節には恐ろしい誘惑が来るものである。今度もその通り、野心に塗れ、世俗的の欲念に駆られて、あるまじき方に迷い込んだ宗教家ほど厭うべきものはない」(421)「或いは今日の戦勝をもって武士道の賜物だという先生もある。なるほど武士道には随分えらい所がある。実に日本の花と謳われるも道理だ。しかし今日の戦いは士族の戦いではない。挙国一致の戦いである。土百姓、素町人らの武勲赫々たる戦いである」(423)、「武士道が人民を率いた点もあろうけれども、また大いに西洋文明の賜物、新教育の結果、立憲政治の恩沢であると認めざるを得ない。これを封建時代の武士道にのみ帰するは開国以後の英雄、志士、学者、教育者の賜物を無にするわけで不都合極まる話である。旅順の陥落は旧武士道よりも新武士道の力である」(424)

3−3:天皇制
「天長節」(『福音新報』190、M27/11/2)
「天皇陛下大旗」「陛下御治世の下にわが日本帝国は前代未聞の大改革を行ない」「アジアの旧天地に空前の偉業を成就せんとす」「陛下英明の徳臣民を鼓舞し」「陛下の武威は日清間の戦争に由りて朝鮮、支那の海陸に輝きぬ。陛下の御治世において憲法は発布せられ、国会は創設せられ、教育は著しく進み、その他法度典章の改善せしものすこぶる多し」(101)
「信教自由の大義炳として帝国の憲法に掲げられ、静かに上帝に事うることを得たり。キリスト教徒はこの点において深く陛下の聖徳を感戴す。今やこの道次第に陛下の臣民に伝わり、その根拠益々鞏固ならんとし、キリスト教は外国の教えにあらずして、実に日本の宗教たるを明らかにするの時節に向かえり」(102)

「天長節」(『福音新報』540、M38/11/2)
「今上陛下統治の下に在る日本帝国は、未曾有の盛時に際会せり」、「日本のキリスト教徒は陛下の御宇において、信教自由の保障を与えられ、安らかに神を信じ、道を伝うるを得たり」(168)

「明治天皇の轜車を奉送す」(『福音新報』898、T1/9/12)
「明治天皇の御遺骸を奉送せんとす」(181)、「これがために礼拝を行ない、皇室のため国民のために祈りを捧ぐることになるべし」(182)

4 展望

 植村から、日本キリスト教の問題性を分析する
天皇
植村は天皇教から自由であったか?
これが近代的立憲君主と矛盾することになる政治的精神的動向の危険性       に十分に対処できなかった理由か、国家神道批判へ踏み込めなかった理由
西欧
アングロサクソンモデルの問題性(世俗主義)への洞察は鋭いが、なおも、一     面的、不十分
   伝統宗教、大衆文化
これについては十分な議論はない、日本的な民衆宗教は迷信で淫祠邪教
     知識人への言論、
 日本にキリスト教が存在するという意味についての神学的反省はどれほどまでなされたか


<引用文献>
A.『植村正久著作集 第一巻』(新教出版社)より
・「キリスト教ト皇室」(『六合雑誌』53、M18/4/30)
・「果たして神に事うべからず、いずく焉んぞ人に事えんや」(『六合雑誌』79、M20/7)
・「キリスト教と人の価値」(『福音週報』18、M23/7/11)
・「外形の文明」(『福音週報』34、M23/10/31)
・「国民の信仰および進歩」(『日本評論』39、M25/1/25)
・「キリスト教の日本に対する使命」(『福音新報』105、M26/3/17)
・「宗教の国民に及ぼせる感化」(『福音新報』137、M26/10/27)
・「中心なき国民」(『日本評論』56、M26/10/14)
・「日本伝道論」(『福音新報』162、M27/4/4:163、M27/4/27)
・「宗教上日本の潜勢力」(『福音新報』177、M27/8/3)
・「世界の日本」(『福音新報』179、M27/8/17)
・「十月三十日の勅語、倫理教育」(『日本評論』17、M23/11/8)
・「不敬罪とキリスト教」(『福音新報』50、M24/2/20)
・「道徳上の偉観」(『日本評論』39、M25/1/25)
・「国家主義」(『日本評論』40、M25/2/25)
・「国家主義を論ず」(『日本評論』40、M25/2/25)
・「今日の宗教論および徳育論」(『日本評論』49、M26/3/4:50、M26/4/8: 51、M26/5/13)
・「天長節」(『福音新報』190、M27/11/2)
・「いかにせば真正の国民たるを得ん」(『福音新報』204、M28/2/8)
・「神の国、神の家」(『福音新報』197、M32/4/7)
・「神に対する孝道」(『福音新報』211、M32/7/14)
・「宗教局と神社局」(『福音新報』253、M33/5/2)
・「日本の文明とキリスト教」(『福音新報』466、M37/6/2)
・「キリスト教徒の責任」(『福音新報』533、M38/9/14)
・「天長節」(『福音新報』540、M38/11/2)
・「明治天皇の轜車を奉送す」(『福音新報』898、T1/9/12)
・「国民はキリスト教を要するか」(『』)
・「神道は宗教でないか」(『福音新報』1047、T10/4/21)
・「愛国の情」(『福音新報』4、M28/7/26)
・「三種の愛国心」(『福音新報』52、M29/6/26)
・「案外なるかな不敬事件」(『福音新報』74、M29/11/27)
・「偶像破り」(『福音新報』253、M32/5/2)
・「日本主義(?)」(『福音新報』219、M32/9/6)
・「慈善の意義を縮むるなかれ」(『福音新報』192、M27/11/16)
・「キリスト教徒と社会問題」
(『福音新報』20、M28/11/15:22、M28/11/29:24、M28/12/13)
・「昨年における社会の宗教的傾向」(『福音新報』27、M29/1/3)
・「われらの社会問題」(『福音新報』205、M32/6/2)
・「婦人問題」(『福音新報』529、M38/8/17)
・「時代の要求と教会の要求」(『福音新報』589、M39/10/11)
・「キリスト者と社会事業」(『福音新報』1385、T11/1/12)
・「キリスト教と武士道」(『福音新報』158、M27/3/23)
・「何をもって武士道の粋を保存せんとするか」(『福音新報』172、M27/6/25)
・「キリスト教の武士道」(『福音新報』140、M31/3/4:141、M31/3/11)
・「武士的家庭とキリスト教的家庭」(『福音新報』165、M31/8/26)
・「武士気質」(『福音新報』256、M33/5/23)
・「日本のキリスト教と武士」(『福音新報』359、M35/5/14)
・「戦勝と伝道」(『福音新報』498、M38/1/12)
・「演劇的なる武士道」(『福音新報』904、T1/10/24)

B.研究文献
京極純一『植村正久──その人と生涯』新教出版社、2007年(1966年)。
熊野義孝「植村正久における戦いの神学」(1966年)『熊野義孝全集 第十二巻 日本の  キリスト教』新教出版社、1982年、216-260頁。
石原謙「植村正久の生涯と路線」『石原謙著作集 第十巻 日本キリスト教史』岩波書店、
  1979年、143-175頁。
大木英夫「植村ルネサンス──現今の教会の社会倫理との関連において」『歴史神学と社  会倫理』ヨルダン社、1979年、107-121頁。
鈴木正三「隣人なき天皇制とキリスト教」、富坂キリスト教センター編『天皇制の神学的  批判』新教出版社、1990年、158-189頁。
五十嵐喜和「植村正久」、同志社大学人文科学研究所編、土肥昭夫/田中真人編著『近代  天皇制とキリスト教』人文書院、1996年、276-296頁。
佐藤敏夫『植村正久』新教出版社、1999年。
近藤勝彦「植村正久における国家と宗教」『デモクラシーの神学思想──自由の伝統とプ  ロテスタンティズム』教文館、2000年、393-425頁。
武田清子『植村正久──その思想史的考察』教文館、2001年。
大内三郎『植村正久──生涯と思想』日本キリスト教団出版局、2002年。
土肥昭夫「植村正久」『日本プロテスタント・キリスト教史』新教出版社、1980年、179-186  頁。
    「植村正久の天皇制論」『歴史の証言──日本プロテスタント・キリスト教史よ  り』教文館、2004年288-307頁。
星野靖二「文明から宗教へ──明治10年代から明治20年代にかけての植村正久」、『東京  大学宗教学年報』XVIII、2001年、115-131頁。
    「『宗教及び文藝』に見る明治末期のキリスト教の一側面」『東京大学宗教学年  報』XX、2003年、55-71頁。
「「宗教」の位置付けをめぐって──明治前期におけるキリスト教徒達に見る」、  島薗進・鶴岡賀雄編『〈宗教〉再考』ぺりかん社、2004年、228-253頁。
芦名定道「植村正久とキリスト教弁証論の課題」、『アジア・キリスト教・多元性』(現代  キリスト教思想研究会)第5号、2006年、1-22頁。  
雨宮栄一『若き植村正久』新教出版社、2007年。

C.その他
Ernst Troeltsch, Die Soziallehren der christlichen Kirchen und Gruppen (1911), Scientia Verlag,   1977.
隅谷三喜男『近代日本の形成とキリスト教』新教出版社、1961年。
武田清子『土着と背教』新教出版社、1967年。
村上重良『国家神道』岩波新書、1970年。
稲垣真美『兵役を拒否した日本人──灯台社の戦時下抵抗』岩波新書、1972年。
熊野義孝「「国家と宗教」の問題」『熊野義孝全集 第十二巻 日本のキリスト教』新教  出版社、1982年、700-738頁。
小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉──戦後日本のナショナリズムと公共性』新曜社、2002年。土肥昭夫『日本プロテスタント・キリスト教史論』教文館、1987年。
姜 尚中『愛国の作法』朝日新書、2006年。
島薗進「神道と国家神道・試論──成立への問いと歴史的展望」明治聖徳記念会『明治聖  徳記念学会紀要』復刻第43号、2006年、110-130頁。
近藤勝彦「「愛国心」教育の落し穴」『キリスト教の世界政策──現代文明におけるキリ  スト教の責任と役割』教文館、2007年、148-161頁。
千葉眞「非戦論と天皇制問題をめぐる一試論──戦時下無教会陣営の対応」『内村鑑三研  究』第40号、2007年、キリスト教図書出版社、88-133頁。

<注>

・日本の近代化の意義
「今日の宗教論および徳育論」(『日本評論』49、M26/3/4:50、M26/4/8: 51、M26/5/13)
「アジア大州諸国今や衰頽して振るわず。これが更生を図り、これが振起を企つべきものは、わが日本人民にあらずして誰ぞ。ただアジアのみならず、わが日本は世界の文明に対して、大いなる賜物をもたらし行くべく、また人類の進展に向かって、与力すべきところ少なからざるべし」(313)
「小なる局量をもって国民主義を主張するごときは、日本の前途に取りて、最も有害なりと言わざるべからず」(314)

・近代国家の基盤としてのキリスト教、欧米モデルの日本への導入
「道徳上の偉観」(『日本評論』39、M25/1/25)
「人類の心胸に鼓動する義気の一顕象として、紛々たる軽薄の世人における道徳上の偉観として、吾人の感嘆措く能わざるものをキリスト教の従事する外国伝道の企業とす」(292)
「哲学を知らざる唯物主義の人何ぞそれおびただしきや。彼らは」、「ただ形而上の結果を見ることを知りて、外国宣教なる偉業の精神を看破し、その道徳上の意義を了解すること能わざるなり、空しき批評家よ」(293)、「暫くなんじの功利的唯物主義を棄却して、外国伝道の企業に彰われたる霊力の不可思議なるを観察せよ。この企業をなし得るの人類は望みあるの人類なり」(294)

「国家主義を論ず」(『日本評論』40、M25/2/25)
「真正なる国粋主義を言う」「日本人を外国人たらしむるは、その天職を汚損すること」、「しかれども社会の改良、宗教上の信仰に至りては、これを外国に学び、外人の教えを受くるを嫌悪するは、今のいわゆる国民主義を唱うるものの通弊なり」、「国民的の鏈鎖をもって学術を束縛することを得るか」、「ゆえに学術、政令、風俗、経済等のことにおいて、暫くの間社会の秩序を紊乱するに至るのをも厭わず、やがてその正平に復して、果断の結果因循に優るものあるを疑わず、日本帝国をして大変化の潮流に乗ぜしめたり。これ維新革命の精神なり」(299)

・文化キリスト教
さらに、このセキュラリズムがキリスト教に及ぼす影響は、非西欧地域の近代化において、現れている。
「時代の要求と教会の要求」(『福音新報』589、M39/10/11)
「時代はキリスト教を求めて居る。日本国民の霊は福音に向かってあこがれて居る」(384)、「しかしながら今日教会の有様はどうであるか」(385)、「或る観察の鋭い雑誌主筆などは言って居る。日本は早かれ晩かれキリスト教国になるのである。それでなくては文明国の間に仲間交際が出来ないから、自然上下いつの間にかキリスト教徒となってしまうであろう。教会はあっても無くてもそれは同じだ。事によったら教会はかえって邪魔になるかも知れないと。これは一面の観察である」、「余輩は教会が社会の一方に覇を唱え、その中には堅い信仰が充ち、健全な道徳が備わって居るため、浮薄な社会がただ勢いに推されて形ばかりのキリスト教に流れて行くのを或いは遮り、或いは堰き止め、かくて邪魔になるであろうと信ずる。是非こういう地位勢力に致さねばならぬのである。教会とはどこまでも骨格である、柱である」(386)

 文化キリスト教、世俗社会における個人主義のもとにおけるキリスト教的文化価値の受容、教会的キリスト教にとっての問題
  トレルチの問題、教会・セクトに対する神秘主義

・伝統宗教の無力さ
 明治維新の否定的側面、伝統的道徳の解体、
日本の伝統宗教はもはや無力
「この時に当たり、にわかに儒教主義を盛んにせんとするも死人に「エレキ」をかくるに異ならず。また何をかなすを得ん。仏教を復興せんとするか。開明の風潮に併行すべからざるをいかんせん。ここにおいて社会の風習を維持し、世の不平心を医し。国家の基礎を固うし、皇室の安寧を保たしむべきものは、ただこれキリスト教にあるのみ。」(44)

「今日の宗教論および徳育論」(『日本評論』49、M26/3/4:50、M26/4/8: 51、M26/5/13)
「福沢諭吉翁門下を集めて、その世俗的道徳を教う」、「彼は世俗的処世学の化成したる人にあらずや」(324)、「余りに高からず、余りに低からざる凡俗的の道徳の人たるに安んじ」、「福沢氏よくその門下を同化することを得るも独り徳育先生が同様の成功をその事業において見ること能わざるものは蓋し上のごとき理由あるに起因するのみ」(325)
「ゆえに道徳上甚だ不完全なるこの世界において徳育を実施し」、「蓋し要は少年子弟を始め総ての人を導き、完全にして活発なる正義者に紹介し、これをして神の感化を被らしむるに在り」、「なんじら天にある父の全きがごとく全かれよとは道徳の基礎にあらずや」(325))、「マッティーニ」「カント」「曰く、宗教の本意は吾人の義務をことごとく神の命令なりと認識するに在りと。この認識を深からしむるの宗教なくんば抽象的倫理の力甚だ微弱なるを免れず」、「宗教と道徳との関係甚だ親密なる」、「イエス・キリスト」「その福音の道」(326)

・京極純一
「植村正久が、近代日本の形成期において、その使命を「伝道者」と「社会の木鐸」との両者に自己規定したことから、かれの引証作業の特性が生まれた。すなわり、一方で「日本の過去」と、他方で「日本の将来」とが、この引証作業の中に繰りこまれることになった。「日本の過去」を引証しえない「伝道者」は無効であり、「日本の将来」を引証しえない「社会の木鐸」は無用であるからである。」(18-19)
「ところで、植村正久が立憲主義、自由主義を立場とすることと、ナショナリズムを立場とすることとは、平和的な「進歩」が続く限り、両立できるものである。しかし、戦争のある場合、権力機構としての国家が前景に登場し、権力政治を「進歩」の方向との間の矛盾、従ってまた植村正久のナショナリズムと「進歩」との矛盾が表面化せざるをえない。しかも、植村正久の生涯において、日本は三回の大戦争を経験しているのである」(80)、「植村正久が好戦主義的でなかったことは明らかである。しかし他方で、植村正久は、周知のように、反戦主義者でもなかった。」(81)

・社会問題への関与と伝道
「キリスト教徒と社会問題」(『福音新報』20、M28/11/15:22、M28/11/29:24、M28/12/13)
「ただ牧師伝道者のみに着目するは誤りならん。蓋し牧師伝道者は首として霊魂の救いに従事するもの、もとよりその先進を社会的の事業に専らにすること能わざればなり」(365)
「福音新報はしばしば日本の社会に流行しつつある迷信淫祠を社会問題として、大いに運動すべきことを論じたり」(371)、「公然夫婦の大倫を破るの法王」「黄金を神として礼拝するの迷信は、金光教会の名をもって」「彼の顕真術天理教の類全国に跋扈する」(372)
「家庭の改良を図り、孝道に関する従来の僻習、すなわち幾分か復古の傾向を有するこの僻習を破り、上御一人より下いかなる細民に至るまでも一夫一婦の人倫を明らかにし、もて立国の基礎を清潔鞏固ならしむるは、もとより日本キリスト教徒の尽力すべきところたり。これ今日実際問題として、その負担すべき社会的事業なり」
「キリスト者と社会事業」(『福音新報』1385、T11/1/12)
「社会事業なる語はいかなる範囲のものであるか。これは容易に決すべからざる問題である」(387)、「キリスト者には商人もある。教育家もある。政治家や社会事業専門の人もある。これらは各々その使命を重んじて、キリストの意旨なりと思うところを平生世に行なうべきである。必ずしも他のキリスト者をして皆己れに同じからしめ、甚だしきは、教会全体をその流儀にせんとするにも及ぶまい」「キリスト者は割合にく社会事業に骨を折って居る」(388)

・国粋主義への動向
「宗教局と神社局」(『福音新報』253、M33/5/2)
「政府は従来の社寺局を分かちて、宗教、神社の両局を設置せり」、「これに付きて余輩キリスト教徒として、大いに注意すべき二つの問題あるを認む。第一、神社は宗教にあらざるか」、「現在の事実を観れば、神道の一部は国立宗教にあらざるなきか。少なくともそれに類似せつものにあらずや。第二、国家と神道の関係は、その現在の有様において信教の自由と抵触するの恐れなきか」、「神社局と宗教局とを分離せるは善し。しかれども国家の礼典

・欧化主義への批判
「内地雑居いは極めて強く反対するものなり。ここに国粋論を避難するいえども、あえて分別もなく西洋の事物を輸入せんと欲するにあらず」、「福沢諭吉、井上馨、伊藤博文、その他の諸氏が前年欧化主義を唱えしがごときは、貴族的の礼法、驕奢、雑婚等に在りて、その務むるところの形体を上に偏し、中正の道を失して」、「これを非難すると同時に同情を表すべきところ多きを覚ゆるなり」(302)


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