心の覚え書き
「こころ」については、今年度に入り、「脳と心」という連関で、「宗教と科学」関係論という視点から、
考える機会が多くなっている。しかし、この問題連関には、「宗教と科学」関係論として展開する上で、
多くの考えるべき難問が伴っている。本格的議論を行うには多くの準備・予備研究が必要になる。
やはり、10年程度の予備研究が必要か?
・「こころ」を包括的な概念としてとらえること
意識、精神・人格性に対して、意識などの諸機能の統合性、全体論的に一つ上のレベル
少なくとも諸機能レベルは科学的分析によるメカニズムの解明と部分的なコントロールが可能
・「過去は心の中に記憶として実在している」というテーゼの問題
過去はよみがえることによって現在に影響を与える
死者が夢に現れるという問題(昨日、久しぶりに父の夢を見た)
「死者の実在性」とは?
意識的存在者=自我としてではないが、意識においては他者として経験される、意識に外にあるが
心の内部に存在する。
死者の夢は意識的に見ることはできない、あたかも他者として 夢に見られる限り、死者は実在し続
ける。
33回忌、50回忌ということの意味、その長さの問題。
集合的記憶において実在する場合、死者の実在期間=寿命は更に延びる
集合的心という類比的な用語法
・上との関連で、「未来は期待・約束という仕方で実在する」というテーゼ
アウグスティヌスの精神論・心(集中と分散)の議論の再考
精神の今と永遠の今
リクールのアウグスティヌス論(物語と時間)
神の実在は、やはり心的領域において経験される。しかし、記憶や期待という意識の他者が心の内部
に実在するのに対して、神はおそらく心の更に外部に存在する。
・人格の機能(心の統合)と神の実在との相関性
統合体としての心の成立にとって、神は前提的
システムとシステム根拠の関係
システム根拠はシステムの外部
それを内部に組みこもうとするとパラドックスが生じる。
イメージ化という手法、だから、神人同型論は不可避的になる
・心を動的な流れ・プロセスとして捉える議論
ホワイトヘッド、ジェームズ、シェーラー、ドゥルーズ
方法としての現象学と立場・枠組みとしての形而上学
現象学と心理学、そして脳科学
流れから、個別的な意識の生成(自他の分化)を考える