日本的霊性とキリスト教    

                                                        芦名定道

 鈴木大拙は、明治期以降の日本仏教思想を代表する巨人の一人であり、現代キリスト教思想においても、キリスト教と仏教との対話・比較という観点からしばしば取り上げられる思想家である(たとえば、スイスの神学者フリッツ・ブーリの『真の自己の主としてのブッダ─キリスト 京都学派の宗教哲学とキリスト教』一九八二年 など)。大拙の専門的研究者でもないわたくしが、新しい大拙論を展開するなど不可能であるが、大拙の日本宗教思想史研究の頂点と言われる「日本的霊性」を手がかりに、キリスト教思想研究の立場から、大拙の思想的意義を論じてみたい。なお、考察は、『鈴木大拙全集』第八巻の『日本的霊性』の範囲に限定し、引用も同書から行うことにする。

 大拙の言う「霊性」であるが、これについては、「霊性を宗教意識と云つてよい」(二二頁)という点を、まず確認したい。もちろん、宗教と言っても、一般に宗教と解されるものと単純に同一ではなく、むしろ、個々の宗教を宗教たらしめている、また個別的宗教を超えて働いている「本当の意味での宗教」が意味されている。問題は、こうした本来の宗教性・霊性とは、すべての民族に可能性として内在しているものであって、それが内的あるいは外的要因によって具体化されるという点である。

 では、日本において、この意味における霊性の覚醒はどのようにして、具体化したのであろうか。大拙の見解は明解である。「日本的霊性なるものは、鎌倉時代で始めて覚醒した」、「古代の日本人には、本当に云ふ宗教はなかった」(三三頁)。ここで、議論は日本的霊性と仏教との関係性へと移ってゆく。その要点は、「霊性の日本的なるものは何か。自分の考では、浄土系思想と禅とが、最も純粋な姿で、それであると云ひたいのである」(二五頁)ということである。しかし、日本的霊性が情性的に顕現したのが浄土系思想であり、知性的に現実化したのが禅であるという大拙の説は、説明を要するであろう。以下、二つのポイントについて、大拙の議論を見ることにしたい。

 まず、仏教は外来の宗教ではないこと。

   浄土系も禅も仏教の一角を占めて居て、仏教は外来の宗教だから、純粋に日本的な霊性の覚醒とその
   表現ではないと思はれるかも知れない。が、自分は第一、仏教を以て外来の宗教だとは考へない、随つ
   て禅も浄土系も外来性をもつて居ない。(二五頁)

 大拙によれば、鎌倉以前の万葉と平安の時代には、宗教という名はあっても、まだ霊性の真の覚醒は見られないのであって、霊性の覚醒には、以下のような外的要因と内的要因とが加わることが必要であった。まず、外的要因として挙げられるのは、蒙古来襲である。

   元寇来襲と云ふ歴史的大事変は、我国の上下を通じて国民生活の上に、各方面にわたりて、並々ならぬ
   動揺を生じたものであらう。各種の動揺の一つで、精神的方面には、わが国民は自分等の国と云ふことに
   ついて、深く考へさせられたことと思ふ。(八三頁)

 この精神的反省こそが、霊性の覚醒に必要な条件なのである。しかし、この外的要因は内的要因と相互作用しないならば、それは単に外的なものにとどまる。霊性が覚醒するには、外的と内的の二つの要因が創造的に相互作用しなければならない。蒙古来襲は、平安期の都の享楽的生活と頽廃が、「日本人の生活全体の上に、何となく、『このままでは、すむものでない』と云ふ気分を、無意識ではあるが、起させた」(一〇八頁)中で生じたが、ここに外的脅威(外的要因)と無意識の不安(内的要因)とが出会うことになる。これら二つの要因は、「農民を背景とする武家階級」とその「大地精神」(七四頁)という場で相互作用を行い、日本的霊性の覚醒を促した。この際に、覚醒した日本的霊性に創造的な表現形態を与えたのが、禅であり浄土系思想だったのである。「それ故、日本仏教は日本化した仏教だとは云はずに、日本的霊性の表現そのものだと云つておいてよいのである」(一〇〇頁)。

 次に、日本的霊性の能動的作用について。鎌倉仏教が日本的霊性の覚醒であるということは、日本的霊性の側から言えば、鎌倉仏教という仏教の新しい可能性が具体化するに際して、日本的霊性が積極的に寄与した、ということに他ならない。浄土系思想も禅も中国民族の霊性から出たものであるが、鎌倉仏教におけるその展開は日本的霊性によるものなのである(「日本的霊性の洗礼を受けた仏教」)。従って、日本的霊性の覚醒としての鎌倉仏教は、日本化という名の下における仏教の非仏教化であるどころか、むしろ仏教の新しい可能性の現実化として理解されねばならない。

 では、以上のような「日本的霊性」の議論は、いったいどこでキリスト教の問題と結び付くのであろうか。その手がかりは、「近代日本の歴史的環境が亦能く鎌倉時代のに似て居て、更に切迫したものがある」(五九頁)という大拙の言葉の中に見出すことができる。『日本的霊性』は、第二次世界大戦という歴史的環境を自覚しつつ書かれたのであり、「日本的霊性には何等の政治的価値も附したくないのである」(一〇〇頁)という言葉の中に、軍国主義や排他的国家主義から日本的霊性を峻別したいという大拙の意図を読みとることは困難ではない。仏教とキリスト教とは、まさにこの近代日本という歴史的環境を共有しているのである。

 江戸末期に再度伝播したキリスト教は、外来の宗教、西洋的宗教だったのであり、明治以降の日本のキリスト教思想にとって、キリスト教の存在意味を日本的宗教性(日本的霊性)との関わりで明確化することはきわめて困難な課題だったのである。この課題と取り組む中で提出されたのが、「日本的キリスト教」という主張であり、ここに、大拙の日本的霊性と同一の論理構造を見出すことができる。次に、こうした点を具体的に確認するために、大拙と同時代を生き、近代日本思想に大きな影響を与えた矢内原忠雄の日本的キリスト教の議論を参照することにしたい。

 矢内原忠雄は、『国家の理想──戦時評論集──』(岩波書店、一九八二年)所収の諸論考で、次のように論じている。「日本的基督教といふのは、西洋かぶれのしない基督教といふこと」であり、思想的経済的に西欧キリスト教会から自立した日本人による日本伝道を行う教会、つまり、矢内原の師である内村鑑三の目指したキリスト教に他ならない(一一六頁)。それは、日本人の心情(大拙ならば霊性と言ったであろうが)によって把握されたキリスト教であり、大拙の理解する鎌倉仏教とほぼ同一の構造を持っている。

 まず、日本的キリスト教は、「日本人の心によつて基督教を把握するといふ事」であり、(四三七頁)、矢内原は次のように明言して憚らない。「基督教は日本精神の美点を発揮するものであると共に、其の足らざるを補ひ、及ばざるを純化すべきもの」であって、「基督教は我が国体に反しないといふことが、基督教会の繰返しての主張であり、又其の実行でもある。私もさう信じる一人である」(一一八頁)、と。矢内原の日本的キリスト教は、『日本的霊性』の大拙よりも、日本精神に対する批判性を鮮明に示しているが、「日本民族は天皇の臣民であると共に、天皇の族員である。之が日本民族の伝統的なる民族感情であり、国体の精華である」(三五九頁)と言い得る点で、外来の宗教であることを脱却し日本的霊性の表現となったキリスト教であると解釈してよいであろう。

 また、大拙の理解する鎌倉仏教が仏教自体の新しい可能性の開花であったのと同様に、日本的キリスト教は、キリスト教自体の新展開という面を有している。「それは日本精神の美を発揮し、英米人も独逸人も他の如何なる民族も為し能はざる処の新しい貢献をば、基督教真理の研究と開展に附け加ふる積極的なものでなければならない」、「其の意味に於てのみ日本的基督教の運動は、基督教歴史の一大時期を劃するものであり得る」(一二〇頁)。ここに、日本的宗教性とキリスト教との創造的相互作用を確認することができる。

 矢内原が論じた日本的キリスト教は、二十一世紀のキリスト教の存在意味あるいは思想的可能性を、日本という場において、宗教的多元性あるいは宗教間対話というテーマのもとで問う場合に避けて通れない問題である。その際に、同じ日本的霊性(日本的宗教性)を仏教との関わりにおいて解明した大拙の議論は、第一に参照すべきものであり、ここに現代キリスト教思想にとっての鈴木大拙の思想的意義の一端があるように思われる。

 もちろん、われわれの状況は鈴木大拙や矢内原忠雄のものとは大きく異なっている。国家主義の下で、批判を許さない高圧的なものとして存在していた「日本的なもの」「日本的伝統」「日本的宗教性」に対しては、そもそも、日本とは宗教的観点から見て何であるのか、日本という名のもとで集約されてきた伝統の重層性や多元性をどのように理解するのかが問われねばならない。われわれは自らの状況において、「日本」概念を再構築しなければならないのである。自らの問題状況を明確に自覚するときにこそ、鈴木大拙の「日本的霊性」の議論は、それにふさわしい仕方で理解可能になるのではないだろうか。

                                              (あしな さだみち・キリスト教学)

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