3.形而上学について−ハイデッガー−

 
 T 序
  U 形而上学とは何か
    1.『形而上学とは何か 序論』において
    2.形而上学と西洋
  V 形而上学−西洋−キリスト教
    1.西洋
    2.形而上学とキリスト教


T 序

 ハイデッガーの『形而上学とは何か 序論』(Was ist Metaphysik? Einleitung, 1949以下『序論』と略記)における「形而上学」(Metaphysik)の概念を手がかりにしてハイデッガーの形而上学の問題と西洋との関係について考えてみたい。この場合、そもそも「西洋」とは何と考えられているのか、ヘブライ的キリスト教的伝統はどのように位置づけられるかが問題となってくるであろう。更に、ハイデッガーが理解する形而上学とキリスト教の信仰、生、伝統との関係はどのようなものであるかも問われねばならない。ハイデッガー自身、パウロのコリントI.1.20の聖句を引用しつつ、「キリスト教神学は、なおも使徒の言葉に従って、哲学を愚かなるものとして本気で考える決断をするのか否か」(『序論』20)と問いを立てているが、この問いに取り組むためにも、形而上学と西洋とキリスト教の関連を考察することが重要であると思われる。なお、必要に応じて、『序論』以外のハイデッガーの他の著作も引用してゆきたい。


U 形而上学とは何か
1.『形而上学とは何か 序論』において


 『序論』の副題、「形而上学の根底への帰行」(Der Rueckgang in den Grund der Metaphysik)
が示すように、この『序論』の中心テーマの一つが形而上学であることは明らかである。以下まず、ハイデッガーが、この場合の「形而上学」ということでいかなることを考えているかを、『序論』の叙述に従って整理してみたい。
 形而上学について最初に与えられる規定は、「有るものとしての有るものを思惟すること」(8)というものである。そして、「形而上学は有るものを有るものとして問うがゆえに、有るものにとどまり、有としての有には向かわない」(8)のであり、従って、「アナクシマンドロスからニーチェに至る形而上学の歴史を通じて、有の真理は形而上学にとっては隠されている。……有るものとして現象する隠れなきもののために隠れていることが欠如している……」(11)のである。すなわち、「有るものと有との混同」(12)が生じているのである。このように形而上学的思惟は、オン・ヘー・オン(有るものとしての有るもの)の領域を動くのであり、その表象は有るものとしての有るものに妥当するのである。この場合、形而上学は有るものの有性(Seiendheit)を、二様の仕方で表象する。一方では、有るものの全体をその最も普遍的な特徴の意味において(存在論)、他方では、最高の従って神的なものの意味において(神論)、である。これによって、形而上学は狭義の存在論であるとともに神論でもあり、従って本質的に「有−神論的本質」(19)を持つのである。この形而上学の二重形態は、ギリシアの存在論が後になってキリスト教の教会神学に採用されることによって変形されたのではなく、形而上学が有るものを有るものとして表象するというそのあり方に基づいているのである。
 以上が『序論』における形而上学についての記述の要約であるが、形而上学において、「有るものと有との混同」「有の忘却」(Seinsvergessenheit)(12)という事態が生じており、しかも、「この混同は、単なる思惟の怠慢とか、言い表しの軽率さ」ではなく、「性起」(Ereignis)として考えられるべきであり、「有の命運」(Seinsgeschick)なのであることが述べられた。すなわち、このような「形而上学が人間の本質に属している」(9)のであって、「形而上学には選択の余地はない」(20)のである。
 さて、ハイデッガーが問題にするのは、このような形而上学的思惟(表象的思惟)から、回想的思惟(有それ自体から生起し、従って有に従属する思惟)へ移行することであり、それはすでに『有と時』(Sein und Zeit)において開始されていた道であった。それは形而上学の方から見るならば、形而上学の根底に帰り行くことであり、事実『有と時』では、「基礎的有論」(Fundamentalontologie)という名称が与えられていた。しかし、この移行は有それ自体の真性(形而上学には隠されていた)を思惟する試みであり、従って、このような思惟は形而上学を或る仕方で棄てたのである。「形而上学の克服」が意図されているのである。このためには、忘却されている有に注意することが大切であり、「形而上学とは何か」の問いは必要中の最も必要事となるのである。ハイデッガーはこの試みを、『序論』においては、『有と時』から始まりここまで展開してきた一つの思索の道を、『序論』の現在から振り返る。人間の本質への有の関与ならびに有それ自体の「現」(Da)への人間の本質関係を適切に、しかも一語で表すために、人間が人間として存立する本質領域として「現有」(Dasein)という名称が選ばれたこと(14)、そして現有の本質は正しく考えられた「実存」(Existenz)から考えられていたこと、実存の十全な本質は「有の開性に内存し、その内存を耐え忍び(関心)、そして終わりまで耐え抜くこと(死への有)」(15)であり、人間のみがこの意味で実存するのであって、それは脱存的な切迫性(Instaendigkeit)というあり方と言うことができること、が述べられる。更に、この実存への問いは、それが形而上学の隠された根底としての有の真性へのこれからまず展開されるべき問いに仕えるのであるから、形而上学の帰り行きを試みる論考は『有と時』とされねばならなかったこと、そしてこの『序論』に続く、『形而上学とは何か、講義』が、「形而上学とは何か」という問いから始められたにもかかわらず、一つのと問い、形而上学の根本的問いである「なにゆえに、そもそも有るものが有るのであって、むしろ無があるのではないのか」という問いで結ばれていることに注意が促される。ライプニッツの問いとは違って、ハイデッガーの場合には、das Nichts(無)という大文字化されたニヒツが使われているように、無が問題なのであり、「有るものが一般に優位を持っており、各々の『有る』(ist)を自らのために要求するのに対して、有るものではないもの、すなわち、そのように理解された無が有それ自体としては忘却されているのは、どうしてなのか」(23)が問われねばならないのである。従って、『講義』では、「有の真性についての思惟から無を、そしてそこから形而上学の本質へと思惟することを試みる」(22)のであり、「無をその唯一の主題として考えた」(22)のである。

2.形而上学と西洋
 前節では、『序論』によって、ハイデッガーにおいて形而上学とは有るものとしての有るものを表象し、本質的には有−神論であるが、有るものと有との混同から有の忘却が起こっていることが述べられた。この節で考えたいのは、形而上学が「有の歴史」の中で、「形而上学の時代」としてアナクシマンドロスからニーチェに至る広がりを持ち、人間の本質に属し、また「有るものと有との混同」が一つの性起(出来事)であって、単なる思惟の怠慢や言い回しの軽率さという欠点から生じたのではないということである。すなわち、「形而上学」が狭い意味で学の問題ではなく、有と歴史の命運に関わり、人間のあり方を規定する深みと広がりを持った事態である点を、「西洋」(Abendland)との関わりで考えてみたい。これによってハイデッガーにおいて形而上学がどのような仕方で捉えられていたのかがより明らかになると思われる。そのために、『序論』以外の著作に目を向けたい。
 さて、ハイデッガーは、『森の道』(Holzwege)の第6論文「アナクシマンドロスの言葉」(Der Spruch des Anaximander, 1946)において、「(有と有るものの)区別の忘却──それと共に有の命運は始まり、そしてそこにおいて完成するのであるが──は、決して何らかの欠如ではなく、その中で西洋の世界史が決定される最も豊かでそして最も広範にわたる性起なのである。それは形而上学の性起である。現在あるものはあらかじめ先行している有の忘却の命運の陰の内に存立している」(360)と述べている。すなわち、有の忘却としての形而上学は、西洋の世界史、西洋世界を規定している性起なのである。「アナクシマンドロスの言葉を規定している古代は、西洋の初期の時代の黎明に属している」(323)のであり、更に、この初期がすべての後期を、最も後期のものにまでおよんでいる。つまり、第一の元初なのである。古代は、「『有』それ自体が有るものを通して自らをあらわにし、かくして、人間の本質をその要求の内に取り入れてゆく『命運』の黎明」(332)であったのであるが、やがて、エネルゲイアが、actualitasと訳される(ギリシア→ローマ)ような「有」のエポケーが起こることによって、「ギリシア的なものは損なわれ」(366)、形而上学が西洋的思惟の本質となるのである。現勢態(エネルゲイア)が現実性(actualitas)となり、そして実在性(Wirklichkeit)を経て客観性(Objektivitaet)へ移行してゆくことになった。このように、「アナクシマンドロスの言葉」では、有と有るものの差異性の忘却という形而上学が西洋世界とその思惟を規定していることが明らかにされている。
 次に、同じく『森の道』に収録された論文「ニーチェの言葉、神は死んだ」(Nietzsches Wort >>Gott ist tot<<; 1943)において、形而上学についてどのように述べられているかを見てみたい。ここで特徴的なのは、形而上学=西洋的思惟の本質=ニヒリズムという規定である。ここでハイデッガーは、『序論』、「アナクシマンドロスの言葉」におけるのと同様に、「西洋的思惟はその元初から、有と有そのものの真理を心に留めず、いつも有るものを有るものとして思惟してきた」(254)、それによって「有は空しくされた」(254)と述べている。そして、このような形而上学がニヒリズムなのであるが、「ニヒリズムはその本質から考えるならば、むしろ西洋の歴史の根本運動」(214)であり、「ニヒリズムはの本質と性起の領域とは、形而上学それ自体である。但し、ここで形而上学との名称で、我々は、何らかの教説とか、まして、単に哲学の特定学科とかを考えているのではなく、有るものが感性的世界と超感性的世界に区別され、前者が後者によって支えられ規定されているといった有るものの全体の根本構造を意味しているのである。形而上学とは、その中で超感性的世界、理念、神、道徳律、理性の権威、進歩、最大多数者の幸福、文化、文明がそれらの建設する力を喪失して空しくなることが命運となっている歴史空間である」(271)。
従って、端的に「形而上学は有それ自体の歴史の一つのエポックである。しかしその本質においてはニヒリズムである」(261)と言われるのであり、それは有の忘却から始まる。なぜ、このような形而上学のあり方がニヒリズムであるのかと言えば、「有の命運から考えたとき、ニヒリズムのニヒルは、有が無となっていることを意味している。有はその固有の光へと到来しない。有るものとしての有るものの現れには、有それ自体は不在である。有の真性は抜け落ちている。有は忘却されている」(260)からに他ならない。こうして、西洋的思惟を規定している形而上学は有の忘却として、その元初から本質的にニヒリズムであったと結論されるのである。
 また、このような形而上学は、更に故郷喪失であり、ヒューマニズムも、そして技術も形而上学と同じ有のエポックの中にあるということが、『ヒューマニズムについて』(Ueber den Humanismus, 1949)において語られている。すなわち、「この故郷喪失(Heimatlosigikeit)は、しかも形而上学の形態において、有の命運から呼び出され、形而上学によってとらえられ、同時に、形而上学によって故郷喪失として隠されている」(27)のであり、「マルクスがヘーゲルから本質的な意義深い意味において、人間の自己疎外として洞察したこと」は、近代人が故郷を喪失したことに由来し、この「故郷喪失は世界の命運になった」(27)のである。そして、ヒューマニズムとの関係では、ヒューマニズムは、「人間的人間(homo humanus)の人間性(humanitas)が、自然、歴史、世界、世界根拠、すなわち有るものの一切が、すでに確立した解釈に基づいて規定される点では、どれも一致している」(11)のであり、「有の真性を問わずに、有るものの解釈をすでに前提にしている人間の本質規定はすべて形而上学的」であるのだから、従って、「すべてのヒューマニズムは形而上学的である」(12)と言わざるを得ないのである。また、技術に関しては、「技術は単に名称の上でギリシアのテクネーに遡るだけでなく、本質の歴史から言っても、アレーテウエイン、すなわち有るものをあらわにする一つの仕方としてのテクネーに由来する。真理の一形態としての技術は形而上学の歴史に基づいている」(27)。この技術については、更に『同一性と差異』(Identitaet und Differenz)の第一論文「同一性の命題」(Der Satz der Identitaet, 1957)においても問題とされている。「技術的なものは、最も広い意味で、そしてその多様な現象に従って表象すると、人間が計画したプランとみなされるのであり、そしてそのプランは結局、人間に対して彼がプランの召使いとなることを欲するか、或いはそれの主人となることを欲するかという決断を迫るのである」(22)、そして、「人は技術の本質の内において語りかける有の要求を聞き落としてしまう」(22)のである。人間はあらゆることのプランと計算とに没頭するように要求されるのであるが、ここでは有さえも、有るものを計画可能性の視野に現象させるようにという挑戦をうけているのであり、人間は、「自らに関わる有るものをプランと計算の要件として確保し、この確保を見通し得ないまでに促進するように組み立てられる(gestellt)のである」(23)。こうして技術世界において人間と有が、そこで互いに関係し、そこから関係するようになるものが、組み立て(Ge-Stell)と呼ばれるのであって、その組み立てにおいて、我々は我々の時代の布置(Konstellation)を現象させる語りかけを聞くのである。
 以上、形而上学を様々な角度から見てきたが、そこから明らかなように、形而上学とは、ハイデッガーにおいては、西洋的思惟を根底から規定し、その本質となっているものであり、有の歴史の一つのエポックをなしているものであって、それはニヒリズムに他ならず、現代人の疎外もそこから起因し、ヒューマニズム、技術というあり方で現代社会を支配しているのである。有と有るものの混同、有の忘却によって、現代は故郷喪失に陥っているのである。もちろん、このような形而上学の特徴付けは、使用された文献が特定の時期のものに限られているため、そのままハイデッガーにおける形而上学の全体像とはできないものであろうが、『序論』の時期にハイデッガーが形而上学ということで何を意味していたのかという点について、その要点は明らかにされたものと思う。

V 形而上学−西洋−キリスト教
1.西洋


 第二章において、ハイデッガーが形而上学と西洋を不可分なものとして理解し、それを克服する思惟の移行の途上にあったことが述べられた。しかし、これまで自明のものであるかのように用いてきた「西洋」「西洋的」(Abendland, abendlaendisch)という言葉が、いったい何を指示しているのかということは、明らかにしておく必要があるように思われる。 さて、通常、西洋と言えば、東洋に対しての西洋、ヨーロッパ・アメリカ世界、あるいはキリスト教とギリシア哲学を文化的社会的母体とした一定の空間的広がりの意味で用いられ理解されているように思われる。実際、岩波の『広辞苑』には、「日本や中国からヨーロッパ・アメリカの諸国を指した名称。欧米。泰西。西欧」と説明されている。もちろん、ハイデッガーにおいても「西洋」という言葉においてその典型としてイメージ化されているものは、彼自身が生まれ育ち、その伝統の中にある、いわゆる「西洋、ヨーロッパ・アメリカ」であるとは言えるであろうか、しかし、「形而上学」との関連で語られた場合、そこにおいては以上とは違った次元が考えられている。なぜなら、先に引用した「アナクシマンドロスの言葉」で、「我々は全世界とそれがそこにさしかかっている歴史的空間である時代の巨大な変革の前夜に立っているのであろうか。我々は別の黎明に向かう夜に対する夕暮れの前に立っているのであろうか。……夕暮れの国(das Land des Abens)は、はじめて出現したのであろうか。そしてこのような夕暮れの国(Abend-land)は西欧(Occident)も東洋(Orient)をも超えて向こうへ、そしてヨーロッパ的なものを貫いて今やはじめて来たらんとしている元初的に送られた歴史の現場となるのであろうか」(321-322)と語られているからである。ここで、西洋(Abendland)は、夕暮れの国(Abend-land)と言われ、OccidentもOrientも超えたものであることが示唆されている。また、この西洋に対応して、ギリシアについても、「我々の言い回しにおいてギリシアとは、或る民族的なあるいは国家的な、また文化的そして人種的な個性を意味するのではない。ギリシアとは、有それ自体がそのようなものとして自らを有るものにおいて顕わにし、そして人間の本質をその要求の内に取り入れるところの『命運』の黎明なのである」(322)。すなわち、西洋にしろギリシアにしろ、それらは民族的、国家的、文化的、人種的な事柄ではなく、有それ自体、命運との関係において用いられているのである。これは、『ヒューマニズムについて』でも同様である。すなわち、「ヘルダーリンは、それ(彼の同国民の本性)をむしろ夕暮れの国の命運への帰属から見ている。しかしまた夕暮れの国は地域的に東洋(Orient)と区別された西欧(Occident)として、また単にヨーロッパとしてではなく、世界史的に根源への近さから考えられている」(25)。従って、ハイデッガーにおいて西洋とは、地域的領域的文化的区分ではなく、有それ自体、根源との関わりから見られているのであって、その意味で、夕暮れの国なのである。ギリシアが第一の元初(erste Anfang)の開始として西洋の夜明けであるのに対して、西洋は第二の、別の元初(andere Anfang)への移行にさしかかっている夕暮れということであろうか。いずれにせよ、西洋が有それ自体との関係で見られていることを念頭においてはじめて、形而上学が、有の忘却という点で、夕暮れの国=西洋の本質であるという主張は、一貫した仕方で理解可能になると言えよう。

2.形而上学とキリスト教

 前節において、ハイデッガーが形而上学との関連で用いる西洋がAnend-land(夕暮れの国)であり、Occident(東洋に対する西洋)ではないことが明らかにされた。しかし、この夕暮れの国の夕暮れ性が典型的に現れているのは、科学技術、ヒューマニズムという点から見て、文化、政治、経済的に東洋から区別された西洋であり、またヨーロッパ・アメリカ化が進行している地域であることは、否定できない。ここから、いくつかの疑問が生じてくるように思われる。それは、東洋から区別された西洋の文化、政治の全体に決定的に影響しているキリスト教と夕暮れの国の夕暮れ性との関係は、いかなるものであるのかという問いである。ヘブライ・キリスト教的伝統、信仰形態はローマ帝国以来現在に至るまで、ギリシア精神と共に西洋世界を規定しており、特に近代科学・技術、ヒューマニズムの成立に、決定的な影響力を持っていたことは一般に認められているところである。その点から、キリスト教は西洋の本質と不可分に結びついていると言わざる得ないわけであるが(もちろん、キリスト教=西洋という意味ではない。キリスト教は東洋に対する西洋よりもはるかに広い広がりを持っている)、だからと言って、キリスト教の本質をハイデッガーの言う有の忘却としての形而上学であるとすることはどれほど正当であろうか。たしかに、キリスト教はギリシア精神との出会いによって決定的影響を受けたわけであるが、ヘブライ・キリスト教的思惟の本質は、ハイデッガーの形而上学の分析の主たる素材であるギリシア哲学と、その影響下にある西洋哲学とは異質なものなのではないだろうか。これは、キリスト教神学の側から当然予想される疑問と思われる。
 さて、ハイデッガーも、ギリシア哲学と西洋におけるその伝統をキリスト教信仰と単純に同一視しているわけではない。『現象学と神学』(Phaenomenologie und Theologie, 1927 and 28)によれば、「信仰は啓示の自己化そのものとしてキリスト教の出来事(das christliche Geschehen)を共に形づくるものであり、すなわち現有を特別の命運としてのそのキリスト教性において規定する実存のあり方である。信仰とは十字架につけられたキリストとともに顕わになり、すなわち、生起する歴史において、信仰的に理解しつつ実存することである」(19-20)。十字架につけられた神の信仰を告白する限りにおいて、もちろん、キリスト教信仰は古典ギリシア的形而上学の流れとは源泉を異にしている。また他方、「神学とは信仰の学」(21)であり、「神学はキリスト教的実存の概念的解釈であるので、その内容に従ってすべての概念はキリスト教の出来事それ自体との本質的連関を持っている。このキリスト教の出来事をその事柄の内実とその特殊なあり方において把握すること、そしてただその出来事がたしかに信仰において信仰に対して自らを証言するように把握することが組織的神学の課題なのである」(23)と述べられるように、神学とは信仰の解釈、概念的把握なのであるが、「すべての神学概念は必然的にそれ自体の中に有の理解を含んでおり、その有の理解は人間的現有それ自身が一般に実存している限り、自らに持っているものなのである」(29)。しかし、「有論的負い目概念が手引きとして採用されるとすれば、まさに哲学が神学的概念を第一に決定することになる」とは言っても、「神学が哲学の思いのままに引き回される」ということには「決してならない」(30)のである。このようにハイデッガーはあくまでも、キリスト教信仰と神学の独自性を理解している。
 しかし、O・ペゲラー『ハイデッガーの思惟の道』(Der Denkweg Martin Heideggers;1963)の説明に従えば、ハイデッガーにとって、「キリスト教信仰の事実的な生の経験は、それにふさわしくないような形而上学的概念性から抜け出すことができなかったのである。このようにしてアウグスティヌス、ルター、キェルケゴール等は『有論的』というよりはむしろ『有的』な教説を提示する。すなわち、これらの人々は『有的』には決定的なことを見て取ったが、それを十分に『有論的』な概念にもたらすことはできなかったとみなされる」(44)のであり、更には、「キリスト教信仰は有るものについての真理のみを知って有の真理を知らないような形而上学、そういう形而上学と混じり合った結果、自らがそれによって生きるところの要求をまげてしまった。それどころかこの信仰は、形而上学の非本質を促しさえしたのである」(192)と言われる。それゆえ、「ユダヤ教的キリスト教的な伝統は、もはやハイデッガーにとって根源的な語りかけではなくなり、むしろこの伝統は、その派生的で倒錯的な形式において認知され、一線を画されるのである」(192)。このような主張に対して、確かにキリスト教信仰が形而上学と結びつき、それによって自らを概念化し表現してきたことは事実であると言わざるを得ないが、キリスト教全体をひとまとめにこのように言うことが正当であるかは疑問である。また、「このことをユダヤ教−キリスト教信仰の預言者たちについて言えば、彼らは(ヘルダーリンと違って)先行的に根拠づける聖なるものの言葉を語ったのではなく、『この前に直ちに神を、つまり超地上的な浄福への救いの確実性のためにあてにされている神を』語ったのである(EH108)」という主張などは、多くの神学者が受け入れがたく感じるのは疑いえないであろう。
 また、形而上学とキリスト教の結びつきはハイデッガーにとって、偶然なことではないと考えられている。『序論』によれば、「有論の神学的性格は、それゆえ、ギリシア的形而上学が、後になってキリスト教神学によって採用され、それによって変形されたことに基づくのではない。それはむしろ、早くから有るものとしての有るものが顕わにされる仕方に基づいているのである。有るものの隠れなさがキリスト教神学がギリシア哲学を自らのものにするという可能性をはじめて与えたのである」(20)。再びペゲラーを引用すれば、「この宗教の唯一の神という立場は、同じように動機づけられた形而上学の有・神論と容易に合体することができたのである」(193)とあるように、形而上学とキリスト教の結びつきは両者がもともと同一構造を持っていたからであり、その意味で、キリスト教がはじめから形而上学的であったからということになる。さて、この両者の合体は、ハルナックの言うキリスト教の「ギリシア化」(Hellenisierung)という事態であるが、ハイデッガーの言い方から考えれば、このギリシア化は両者の出会いの当然の帰結ということなるであろう。しかし、この事態を単に構造が類似していたからというのは正しくないだろう。このギリシア化の問題が鋭く現れたのは、三一論、キリスト論の形成においてであるが、この点については少なくとも、「一見、抽象的に見える言葉の背後に生き生きとした実存的関心の問題が賭けられていた」(J.マッコーリー; Principles of Christian Theology, p.297)ことが気づかれなければならないのであり、さらに概念化において形而上学的概念が用いられたとしても、それは本質がギリシア化し変質してしまったということには必ずしもならないと言わねばならない。ギリシア化と言われる事態は、キリスト教が運命的にギリシア的形而上学と出会い、それと合体したということでは十分理解できない問題のように思われる。さらに神学の立場からは、キリスト教とギリシア的形而上学・存在論との関係をハイデッガーとは違った仕方で説明しようという試みも見られる。たとえば、「存在論と聖書の宗教の相関は無限の課題である。我々が聖書の使信の下に受け入れなければならない特別の存在論など存在しない。たとえそれが、プラトンのであろうと、アリストテレスのであろうと、クザーヌスのであろうと、スピノザのであろうと、カントのであろうと、ヘーゲルのであろうと、老子のであろうと、ホワイトヘッドのであろうとそうである。救済的な存在論があるのではなく、存在論的問いが救済の問題の中に含まれているのである。……この緊張において誠実に勇気を持って生きること、そして最終的に自分の魂の深みと神的な深みの中にそれらの緊張的統一を発見することが人間の思惟の課題であり尊厳なのである」(P.Tillich: Biblical Religion and the Search for Ultimate Reality, p.85)。あるいは、「キリスト教の基本構造には、ギリシア的オンの論理(オントロギア)とは別にハーヤーの論理としてのハヤトロギアが働いているということを実証的に分析しえたと私は考えている。けれどもキリスト教思想は歴史的には、ハヤトロギアとオントロギアのいずれか一つだけによって成り立っているものではなくむしろ両者の間のさまざまな相互作用によって形成されてきたものである」(有賀鐵太郎「神学的原理としてのトノーシス」著作集5,178頁)。これら二つの引用はキリスト教の本質をどこまでもギリシア的形而上学とは緊張関係にあると見ており、この緊張関係の内で、歴史的キリスト教会、キリスト教的生と世界が形成されたと見ているわけであるが、これらとハイデッガーの理解のどちらがどれだけ事柄に即しているかは、西洋思想の本質に関わる問題であり、簡単に結論が下せるものではない。しかし、キリスト教神学にとって、ハイデッガーが『序論』において提出した問いは避けることができないように思う。すなわち、「キリスト教神学は、なおも使徒の言葉に従って、哲学を愚かなものとして本気で考える決断するのか否か」(20)。

<文献>
Martin Heidegger
1. Was ist Metaphysik ?, Vittorio Klostermann, 1969(1981)
2. Holzweg, Vittorio Klostermann, 1950(1980)
3. Ueber den Humanismus, Vittorio Klostermann, 1949(1975)
4. Identitaet und Differenz, Neske, 1976
5. Phaenomenologie unf Theologie, Vittorio Klostermann, 1970

Otto Poeggeler
Der Denkweg Martin Heideggers, Neske, 1963

 但し、ペゲラーの『ハイデッガーの思惟の道』については、訳文は、大橋良介・溝口宏平訳『ハイデッガーの根本問題──ハイデッガーの思惟の道──』晃洋書房、に従った。

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